2017年4月27日木曜日

土岐善麿(ときぜんまろ)氏

今からちょうど100年前の大正6年4月27日、日本初の駅伝大会「東海道駅伝徒歩競争」が行われました。東軍と西軍が、京都三条大橋から、東京・上野のゴール不忍池をめざして健脚を競ったそうです。この大会を企画したのが、当時読売新聞社会部長を務めていた土岐善麿さんです。そう、歌人でもあり、国分寺一中、二中の校歌の作詞者でもあります。この大会の成功を受けて、その3年後に箱根駅伝が始まったそうですから、箱根駅伝生みの親の一人、と言ってもいいかもしれませんね。
 間もなく5月1日、開校記念日です。

 「この方、校歌を作詞した人じゃないですか?」と言いながら、音楽科の先生が昨日の読売新聞「編集手帳」欄を見せてくれ判明した事実です。そこには土岐さんが詠んだ短歌も一首紹介されています。
   「春の夜のともしび消してねむるとき ひとりの名をば母に告げたり」
 甘酸っぱい青春の思い出がよみがえってきます。